〜本の紹介〜

内側から見た富士通

「成果主義」の崩壊

城 繁幸 著

光文社 952円+税

 

 2〜3ページ読んだだけで「なんだNTTとおなじだな」という印象を受ける。読み進むに従ってそれは確信にかわってくる。富士通を崩壊同然に導いた同じ道をNTTも歩んでいるのである。

 著者は、東大法学部卒後富士通に入社、成果主義導入直後から人事部でその運営に携わったエリート社員であり、本書はその内幕を徹底的に暴露している。

 富士通は1993年、日本の大企業としては初めて「成果主義」を導入した。前年、シリコンバレーを訪問した視察団が、そこで猛烈に働くエンジニアの成果主義を目の当たりにし、関沢社長(当時)に報告する。すると「すぐにその制度をわが社に導入しろ」と「関沢社長はまるで新しい技術か部品でも扱うように、成果主義の導入を命じた」なんとも安直な話である。

 富士通の成果主義システムは、「目標管理制度」をその中核とする。NTTの「チャレンジシート」とまったく同じように、期首に目標を申告させ面談で確定、期末に面談を行い評価を確定する。一次評価者は課長、二次評価者は部長、事業部長と各部長で構成される「評価委員会」が実際に評価を決定する。絵に描いたようにNTTと同じだ。というより後発のNTTが、富士通のやり方をマニュアル化しているのだ。当初は相対評価であり、SA10%、A20%、B50%、C15〜20%、Eほとんど0・・という分布比率だったそうだ(何故か「D」というのがない)。

 著者は人事部担当としてこの「評価委員会」に出席する。各部長の前には、労働者一人一人から提出された「目標シート」が山積みされている。しかし部長たちは、誰もこれを見ようとはしない。つまりノーチェックなのである。「そもそも2時間の会議で全員の目標なんか見てられないし、難しい用語が多くて意味が分からないんだよ」と事業部長は言う。「技術系の事業部の場合、そもそも決定権者である事業部長クラスの人間は、最新の専門用語(横文字)の飛び交う中堅社員の目標シートなど、まともに読めないケースがほとんどだった」という。なんと杜撰な!しかしありそうな話である。それでは「評価委員会」は何を行うのか。「各部がそれぞれ何人悪い評価を引き取るか」という減点枠の割り振りだけなのである。やっぱりな≠ニ言いたくなる。

 あるハード部門開発エンジニアは「新制度導入後は、それまでチームで1つの成果を上げていた社員が、自分だけの目標に固執するようになった。この弊害が一番大きいですね。そもそもなにが必要な作業かなんて実際にやってみなとわからない。なのに半年も前に目標として取り込めと言われても絶対に無理ですよ」それまでうまく噛み合っていた歯車が、少しずつずれて行く。それは社内から社外へと及ぶ。「どうも最近の富士通製品は、質がよくない」というユーザーの声が聞こえるようになる。

 同じ時期に「裁量労働制」が導入される。「この制度は勤務時間が自由になる反面、時間給を基本としないから時間外手当などは支給対象外となる」ところがフリーであるはずの勤務時間が「節度ある運用」で定時出社を強要される。つまり残業が付かないだけの制度であったのだ。会社は前年度残業実績をもとに次年度の裁量労働制適用社員を決めていたという。200時間残業しようが残業手当はゼロ。労働者に過酷な「丁稚奉公」を強いることとなった。

 成果主義と裁量労働制で労働者の不満が鬱積し、「まさに社内は内乱寸前の様相を呈してしまったのだ」という状況に対処するため、経営者が考えたのが、相対評価→絶対評価への変更である。すると今度は各評価の割り当てが無くなった為「評価のインフレーションが始まった」「2003年度上期にはA評価以上の社員は、なんと全体の7割をこえた」管理者は制度導入当初から絶対評価が適用され、「部門や部下の成績にかかわらず、ほとんどがA以上」であったという。

このような出鱈目な社内状況が、事業全体に悪影響を及ぼさないはずはない。大型プロジェクトでの契約解除、指名停止、損害賠償などがどんどん起こる。「営業部門がサーバーやソフトウェアなど自社製品を売らなくなったんです。かわりにSUNやORACLE製品を組み込んでクライアントに勧めるようになったんです」「彼らはクライアントからどれだけ多くの商談を取るかに血道を上げるようになった。結果自社製品より使い勝手の良い他社製品を積極的に組み込んだシステムに注力し始めた」こうして『技術王国富士通』は音を立てて崩壊していったのである。業績は著しく低迷する。毎年繰り返す決算下方修正について質問された秋草直之社長(2001年当時)は「くだらない質問だ。従業員が働かないからいけない。毎年事業計画をたて、そのとおりにやりますといって、やらないからおかしなことになる。計画を達成できなければビジネスユニットを替えればよい。それが成果主義というものだ」と答えた。「『こんな社長の下で働けるか』富士通社員なら誰もがこう感じていた」

 成果主義によって評価を取り仕切る人事部門に権力が集中するようになる。「富士通のイントラネット上には、誰でも事由に発言できる社内掲示板がある。そこでは新規ビジネスプランから、人事制度に関する議論まで、オープンに幅広く行われている。しかし、この掲示板を、人事が裏でガッチリと管理していたのだった。だから、人事制度に批判的な従業員はピックアップされ、ブラックリストに追加される。ちなみにこの掲示板は、人事部門のなかでは『ゲシュタポ掲示板』と呼ばれていた」このゲシュタポ人事部では「例外なくほぼ全員A評価」だという。このあたりは「ゲシュタポ中枢」に働いていた著者ならではの暴露話が連続してじつに興味のつきないところである。

 著者は、成果主義そのものはやむを得ないとかんがえているようで「ここまで普及した以上、見直しはあっても、旧来の年功序列に戻ることはないだろう」として富士通失敗の反省の上に立って「日本型成果主義」を訴える。このへんは首を傾げたくなるところもでてくるわけだが、誠実な考察であるという印象を受けた。最後にコンピューターソフト会社「サイボーズ」の成果主義導入失敗例が示される。ここでは「半期ごとの6段階評価(SABCDE)で、2年連続最下位(E)の社員は(2%)は退社する」というウルトラな制度を作ったが1年で破産した。人事担当者の弁「辞めさせるためではなく、社員に奮起を促す目的だったので、うまく機能していないと判断した時点で切り替えました。会社で大切なのは圧倒的に人。人の結果を引き出すために、公平性を維持して、社員が納得できる成果主義でありたい。微調整は今後も続くでしょう」とのこと。「公平な成果主義」が果して可能か、この本全体を読んで否定的にならざるを得ないが、失敗を認め反省する勇気こそが大切である。

著者最後の弁「当たり前のようだが、社員はロボットではない。重要なのは人の気持ちなのである。富士通もそうだが、人の気持ちを無視した制度に未来はない。この点に気がつかない会社には、今後も将来はない」 同じ言葉をわれらがNTTに対しても言いたいと思った。